会長は、時折、過激と思われる発言をします。でも、良く聞いてみるとあながち過激とは思われないときがあります。このページでは、そういう会長語録を集めてみます。
牛がいくら働いても、家は建たないよ 10円しか役にたたないやつに1000円払うな
物事に妥協するヤツは、エネルギーがない 持って生まれた肝臓病
どうして名前を英語で書くの? バカなことをしてる時、人間はバカな顔つきになる
へのカッパ やらなくてもゼロの事を普通の人はやろうとしない
人の気持ちが分かる話 観客にアシスタントを頼もうとして目をそらされたら、マジシャンが未熟だってバロメータだ
男の美学 余裕
フェザー・タッチ(会長語録集)
 余裕
 お前は余裕がない、とよく会長に言われます。
 確かに、何かしているときに、考える余裕がなくなり、当然するべきことや、考えるべきことなどを忘れてしまったりします。
 ある日、会長が、余裕がないってことは、どういう事か分かるかと言われました。
 ??となっている私に、会長はお皿のたとえで話してくれました。
 
 お皿に山盛りにご馳走が乗っていて、もう他にのらないという状態、それが余裕がない状態だ。当たり前と思うだろう。そう、当たり前の理屈なんだ。
 だけど、問題は、その余裕がなくなるまで乗っているご馳走の中味なんだ。
 
 お前や、余裕のない人を見ていると、ご馳走の中味は自分のことばかりなんだ。自分のことでお皿がいっぱいになってるんだよ。自分のことでお皿がいっぱいだから、他のことや、他の人のことなど考える余裕がないって思ってるんだ。
 余裕を持ちたかったらね、そのお皿にいっぱい乗ってしまってるご馳走、つまり自分のことを捨ててみるんだ。
 そしたら、お皿はほとんど空になってしまう。そこで、人のことを考えられるようになる。これが、余裕のある人の考え方。
 すなわち、余裕のない人は自分のことばかり重要だと考えてる人。余裕のある人は、自分のことより人のことを先行して考える人。人に対して、優しい心を持てば、おのずと余裕は出てくるってことだ。
男の美学
 待つことが苦手な高校生の息子が「今すぐ、バイク買ってもいい?免許をとったらすぐ乗りたいからさ」といいだしました。しかも、購入のお金を立替えて欲しいと。
 免許も取っていないのに、先にバイクを買っとくというんです。彼には彼なりの理由があって、3月生れのため、免許の取得日が学年で一番遅く、遊びやバイトに出かけるとき、同級生はみんなバイクにのってるのに、自分だけ自転車。ひたすら我慢をしてきたんだから。
「根負けして、いいよっていったんですけど」と会長に話したところ。
「それは駄目だ」と会長から言われました。「詰まらない癖が付いちゃうからね。人は、悪い癖を持って生きるのと、良い癖を持って生きるのじゃ、大違いの人生になるんだよ。今、高校生だろう。これから自分の人生が良くなるか悪くなるかは、どういう癖を付けるかなんだ」と。
「男の生き方にはね、男の美学ってのがあるんだよ。人が、いいと言ったからとか、うまくだませたとかいうのは意味がない。人は分からなくても、自分は知ってるからね。自分をだましたんじゃ良い生き方は出来ないって教えてあげることだ。
 今回の場合は、そのやり方を、かっこいいと思っているのか?、って息子に聞く事だ。かっこいいと思ってるなら、それでいい。でも、金を借りてまで、先にモノを手に入れるというやり方はちょっと・・、と心の中で思うなら、そのやり方はやめた方がいい。
 人が納得したとか、説得出来たとか、そういうことより、そのやり方を自分でかっこ良いと思えるかが大事なんだ。そうやって、生き方の癖をつけていけばいいんだ。今回の場合、もしかっこ良い方、つまり待つ考え方で行くなら、待つ事には楽しみがあると教えてあげるんだ。いい加減な生き方をしてると、その待つ楽しみの味わい方も知らず、直ぐに結論を求める詰まらない男になってしまうよ」

 大人も子供も男も女も関係なく、私たちは毎日、いろんなことを“待つ”喜びがある反面、待つことが苦しくて結論を急いでしまい、失敗することがありますよね。
でも、自分の欲しいものを、自分の力で勝ち取って行く楽しみ。それを、待ってようやく手に入れたときの達成感。
 手に入れるのが難しいものほど、努力する楽しみ、待つ楽しみが多くなる。人が納得する事じゃなく、自分自身に納得できる「男の美学」をきちんと息子に教えられる母親になりなさい、と会長に教えていただきました。美学。。。人間の価値を高めるということでしょうか、「美学」を持った生き方。。ステキですね。
客に目をそらされたら、マジシャンが未熟だってバロメータだよ
「どなたかに、マジックのお手伝いをして頂きたいのですが・・」とマジジャンが客席に語りかけた時、つい・・・目をそらしてしまったという経験がおありじゃないですか?逆に、自分が演者だった時に、目をそらされてしまったという経験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
 プリあら例会での会長のコーナーで、会長は毎回必ずといっていいほど、客席からアシスタントを選びます。その、アシスタントとしてステージに上げられた人は、今日始めて例会に参加した人だったり、色々ですが、不思議なくらいにどんな場合でもアシスタント(会員)のコミカルさや明朗な性格が、会長のイニシアチブにより浮き彫りにされていくのです。まるで昔からのパートナーと演じているように、マジックの流れが実に良いムードへと発展していきます。
 普通の人は舞台に上げられるだけでも緊張してしまって固い表情になりがちですが、それを解放してくれ、楽しく演出してくれるマジシャンなら安心して助手を務められることでしょう。威圧的に自分の気分や演りたい事をアシスタントに押しつけるようなタイプのマジシャンの助手は、やはり苦痛です。頼まれたら、自然と目をそらしたくなりますね。
 プリあら運営委員の佐々木さんは、ラスベガスでランスバートンに「どなたか、私のマジックのお手伝いをしていだけませんか?」とエスコートされ、舞台にあがった経験があるそうです。ランスの助手を務めたひとときは「夢のような楽しさ」だったと語られてました。
 「お客に、目をそらさせたり、緊張させたりするようだったら、その、マジシャン自身が未熟だっていうバロメーターになるだろうね。マジックは、学校の授業じゃないからね。指名されるかどうかで、緊張させるような時間を作っちゃいけないだろう」と、会長が話されていました。
 「まだ、プロになりたての頃、よく目をそらされました。今でもたまにありますが・・」とあるプロマジシャンの方の苦笑話を思い出し、私は「なるほど」と感心!目をそらしてしまう・そらされてしまう、というの現象の中にこんな辛口メッセージが込められていたとは・・!
人の気持ちが分かる話
 
私が物事をうまくやることが出来なくて相談したら、「おまえは人の気持ちを分かろうとしない。もっと、相手の気持ちになることだ」と、会長が話して下さった時のことです。
 私が、「私にも相手の気持ちがわかるときがあって、でもそういう時にわざといじわるをする事がある」と言いました。
 「どうして、いじわるをしようとするんだ? お前の言っているのは、例えば、その人が泥棒をしようとしているのが分かった!という話なんだろう? 人の気持ちが分かるというのは、どうしてその人が泥棒をしようとしたのかまで分かることなんだよ。だから、自分にいじわるをしようとした人が、何故、自分にそうしようとするのかまで分かることなんだ。自分に対して嫌な事をする人が、いろんな環境を持っていてそのことを認めてあげることで、相手の気持ちになれる。そうすれば、怒るという気にならなくなってくるんだ。だから、お前が仕返しをしてやろうなんて思っているうちは、相手のことが分かったということにはならないんだよ。」
 会長はそういう人に対して、私のようには腹が立たないそうです。だけど、その人の事を思った時に、’そんなことをしていたらその人や、周囲の人が困るだろう!’と思って怒ったりするんだそうです。人のことが分かるというのは、相手の環境やすべてを感じてあげることなのかな、と思いました。
へのカッパ
 中学生の息子の子育相談を、会長にしていた時の話です。
「息子の担任の先生(女性)から「ホントに何をいっても、弘樹くんはへのカッパですね」っていわれて・・ちょっとムカッときて・・・そうですかぁ?家では、私の言う事はちゃんと聞いてますけどねって言い返しちゃいました・・」と話したら、会長曰く「『へのカッパですか? 家では、ホのたぬきですよ』って言えばよかったのに・・・」と、嬉しそうにおっしゃいました。私は、会長の口から(ヒョイッと出た)台詞の妙に大爆笑!!
 それに続けて「へのカッパって不思議な言葉だよね、普通はカッパの屁だろう。その先生に聞いてみれば良かったのに、へのカッパってなんですか? カッパの屁なら分かりますけど?」って。
そう言われてるうちに、真剣に相談をしていたはずの私ですが「へのカッパ」の韻がやけに可笑しく感じ出し、「アハハ・・」と、笑いが止まらなくなってしまいました。
 会長はいつも、物に捕らわれた私の考え方を解消してくれます。人から嫌味な事を言われた時、無意味に嫌な気持ちになってしまうのではなく「スカーン!」と相手の台詞をはずすようなユニークな返答をしてみたいっ!!って思いました。
 そんなふうに出来れば、人生がもっともっと楽しくなるだろうなぁ・・と。どんな人との会話の中にも、、いつでも面白さの発見ができたら最高ですね。
「やらなくてもゼロの事を普通の人はやろうとしない」
 やっている事が、思うように進まず落ちこんでいたら、「じゃあ考え方を教えてあげよう」と、会長が話してくださったお話です。
 「おまえは今、やらなくてもゼロの事に挑戦してるのに、それが、いつのまにか自分の中で、『やらなきゃならない事』に変わっているんじゃないか?
 例えばマジックは『やらなきゃならない事』じゃないし、切手を集めるのも集めたいからやってるわけで、両方とも、やっても、やらなくてもどちらでもいいから、『やらなくてもゼロの事』だよね。でも人生の面白さは、『やらなくてもゼロの事』に挑戦していくところにあるんだよ。
 成功していく人間達は『やらなくてもゼロの事』を一生懸命やるし、その事をどれぐらい発展させられるかを面白がるんだ。マジック会だって、そうだよ。発展するほどみんなが楽しめるよね。でも世の中の普通の人達は『やらなくてもゼロの事』だと、やろうとしないんだよ。仕事に行くのは生活していけないからで、しないとマイナスになるからやってるし、犬や猫も生きるための事しかしない、『やらなくてもゼロの事』に挑戦してる犬を見た事ないよね。
 でも人生の面白さや楽しさは、やらなくてもゼロの方側にあるんだよ。わかるかな?
 たとえば、歯が痛くなって歯医者に行くのは、僕は好きじゃないんだよね。それは歯医者は行かなきゃならない事であり、行っても歯が直って終わり、そこからの発展が無いからだ。『やらなきゃならない事』なんだ。だから歯医者に行く時は道すがら何か面白い物を探そうとして、美味しい鯛焼きを見つけたりして、それがまた友達を喜ばせることになったりする。
 これは『やらなきゃいけない事』をそれだけで終わらせない感覚の話だよ。
 自分がやらなくてもゼロのことに挑戦してるんだから、気分は気楽なはずなのに、落ち込んだり、悲愴感がただよってるのは変だよね。今まで、自分がやらなきゃならない感覚で生きてきたから、やりたくて始めたことまで、いつのまにか事務的な感覚に変わってしまう。それではいくらやっても面白い人生をつかむ事が出来ない。
 「やらなくてもしょせんゼロだから、駄目でも何も損はしない。でもゼロでは嫌だから、だからこそ一生懸命に頑張る」この感じが分かれば、何をやっていても面白いし、物事は成功するよ。
「バカなことをしてるとき、人間はバカな顔つきになる」
 
会長と一緒に18人、テーブルを挟んで9人づつが向かい合って、横一列に並んでの会食をしたときのこと。
 日本料理が一品づつ運ばれてくる中、一番隅に座った女性が、仲居さんの運んでくる料理を隣から隣へとベルトコンベアーさながら、お皿を送っていく。途中、中央に座っていらっしゃる会長が二度ほど、「(料理のお皿を)送らなくても、お店の人がやってくれるから、やらないように」と。皆の手はそこで一旦止ままるものの、次の料理が反対側の入り口から運ばれてくると、そっちの彼女が、なんの意志も持ち合わせない奴隷のような顔付で、また、ベルトコンベアー行動を始めている。
 そんな行為が三回目になったとき、お皿を送り出している彼女へ「いい加減にしろよ!馬鹿丸出しで気持ちが悪い! 」と会長が一喝。「何のためにそうするんだ? 何か手伝っているつもりなのか?」と会長。「・・・・」答えられない彼女。
 私は「なぜ、あんなに怒られたのですか?」
 合理的でない行動だったからか? そんな事では怒らないだろうなとは思うけど・・・。
 「でも、わからなくて」と会長に聞いてみた。
 「ああいうのは、人生をうまくやっていけない人間の癖みたいなものなんだ。目的意識が希薄で、自分の行動にはっきりとした自覚がないんだ。それにもかかわらず、自分が何かの役にたっているような錯覚をしてしまってる事。それとね、バカなことをしてるとき、人はバカな顔になるから、それが嫌なんだよ」
 「あれは、三方向に廊下のふすまが開いているから、中居さんは三方向からお皿を入れるように、お盆をわけて運んで来てたんだ。それを親切ぶって一人が全部送り出そうとするから、中居さんの方でも遠慮して三ヶ所から入れるお盆をそこから全部入れなきゃならない形になってしまってたんだ。しかも、人に煩わしさしか与えてないのに、彼女の意識下では、役にたってる風なこれ見よがしな心理が働いてるんだ。自分の友達がそんな何も考えずに行動する人間では、先が思いやられるし、気持ち悪いだろう」
 それは、もっと深く掘り下げて比喩するなら、子供を駄目にしていく過保護な母親の心理にも似ていると私は思った。それにしても、豊かな人生、楽しい人生を過ごせる人かどうかは、そんな些細な心理や行動からも伺い知れるものなんだ。
 貴方の日常の何でもないと思ってる些細な行動に「なぜ? 君はそれをやるんだ」と、問いかけられたら、貴方はなんて答えるでしょう?
「持って生まれた肝臓病」
 歯並びのかなり悪い女性に、ある日、会長が「おまえ、歯並びが極端に悪いんだから、直して奇麗にしたほうが幸せになるぞ」とアドバイスをしました。
 すると、その女性は、困ったような顔をして、「奇麗にはなりたいんですけど、母に言うと、持って生まれてきた歯なんだから、無理に直したりしない方がいいのよ、何か運命が変わったりしたら困るでしょう」って心配して言うんです、だから・・・」
 「だから、なんなんだよ」と会長、「じゃ、お前のお袋は、子供が生まれつきの肝臓病だったら、持って生まれた肝臓病だから、治さない方がいいって言うのか?」
「10円しか役にたたないやつに1000円払うな」
 
人は誰でも役に立つ処があるから、自分の部下や友だちに対して「あいつは役立たずだ」って言うのは「俺は、自分の部下を役に立たせられない無能な男なんだ」って言ってるようなものなんだ。その人がどういう役に立つか、何が向いてるのかを考えて、それなりに役に立たせてあげるのが友だち甲斐だったり、上司としての器量だったりするんだ。
 でも、「自分は役に立つ人間なのに、それを使いこなせないのは誰々のせいだ」って、開き直ったりしてはいけないんだ。
 つまり、自分が10円分、役に立っているのか、1000円分役に立っているのか。10円分役に立っているなら10円が支払われるし、1000円役に立っているなら1000円分の評価を受けるだろう。もし1000円役に立ってるのに10円しか払われなかったり、10円しか役にたっていないのに1000円支払われたりすることがあったら、その会社や環境は長続きしないだろうなあ。
「牛がいくら働いても、家は建たないよ」
 
ある会員の友達が、700万の借金があって、それを返すのに忙しくて「プリあら会」には残念だけど、なかなか来れない」と言っていたという。彼女曰く「凄く忙しいの。もう家一軒建つくらい働いてるのよ」
 会長にその話をすると、「牛がいくら働いても、家は建たないよ」との答えが返って来た。どうしたらいいのかと聞くと。
 会長曰く。同じ生きていて、700万の借金をこしらえてしまう人もいれば、700万の貯金が出来る人もいる。どこが違うかというと、何かの出来事があって損をしたり儲かったりしてるんではなく、人間として、どちら側の性格を備えているかなんだ。
 その人が、700万の借金を返すのは当然だけど、ただ返しているのではなく、700万を儲けられる性格になるように勉強しながら返済して行けば、返し終わるころには、そっち側の人間になっている。もしくは、近づいているもんだ。
 そう考えないから、「プリあら会」に来たくとも来れず、人生を凄く損して生きてしまうんだ。「マジックが好き」なのに、「プリあら会」に行きたいのに、何がかしらの理由があって行けない、やれないとなっているとき、そこに何かのヒントがあるんだけどね。
「どうして名前を英語で書くの?」
 
「プリあら会」会員の娘さんのリコちゃんが、会長のサインをしてあげてる相手の名をのぞき込んで「どうして、いつも名前を英語(ローマ字の意味)で書くの?」と質問。
 会長曰く「リコは名前を書くとき、平仮名があるだろう。カタカナもあるね。でも、本当は漢字で書くのが正しいんだよね」。リコちゃんは、「でも、リコは、漢字はまだ書けない」と答えました。
 会長は続けて「難しいだろ、日本語だと名前を書くのに3つも種類があるけど、英語だったらひとつ覚えればいいんだ。小さいときにひとつだけ覚えれば、後で付け足して覚えたりする必要がないんだよ」
 そして、周りにいる大人たちに向かって「日本語を覚えるためには、平仮名とカタカナで100文字、それに難しい漢字を山のように覚えなければならないけど、英語はアルファベットが26文字だけ。それだけ覚えたら、あとは表現の仕方や、他の事を覚える時間に当てればいいんだ。日本語は、文字を覚えてるだけで人生の沢山の時間を損しちゃう。それなのに、漢字の書き取り試験なんかして、勉強して、それで頭が良くなったと勘違いしてる。ほんとは馬鹿になってるかもしれないのにね(笑)。色んな意味で、英語の方がずっと合理的に出来てるんだよ」
 そして、ふたたびリコちゃんに向かって「リコも、日本語より英語で暮らす方が頭が良くなるって、僕が言ってたこと、覚えときなさい」
物事に妥協するヤツは、エネルギーがないよ
 
何人かが集まって、会長の話を聞いているときに、物事を成功させる話になった。
 「どうすれば、やる気になって物事に立ち向かえるんでしょう?」と誰かが質問すると、会長曰く「普段、物事に妥協して生きてるヤツは。常にエネルギーがないんだよ。たとえば君は、『これだ!』と思うものを買ったのか、それとも、色々な理由から『ま、こんな所でいいか』と妥協してるかなんだけど、自分では10%だけ妥協してるつもりが、実は50%以上の妥協をしてるのと同じなんだ」
 そう言われて、みんなは分かったような、分からないような顔。そこで会長がフォロー。
「たとえばね、気に入ったデザインのシャツを手に入れたとする。本当に100%気に入ってるなら、会う人ごとにそれを自慢したくなるはずだろう。だけど、10%妥協してるとき、君は、ほんとに気に入ってる時の10%引きくらいで自慢してるだろうか。しないだろう!?出来ないんだよね。
 本当に気に入ってる時のエネルギーから10%落ちてるんじゃなくて、何事においても妥協したときって、50%以下、ときには90%も気持ちが下がっていて、自慢なんかとてもする気がしないもんなんだ」
 「なるほど」とうなづく人がいる中、会長は続けて「妥協なく何かを作り上げたり、本当にうれしい時や感謝するとき、そこに妥協がなかったら、人間は凄くエネルギッシュになれる。だけど、常に10%妥協の人生をやってる人は、いつもどこかで感謝や喜びの表現、それに自慢なんかが出来ないでいるんだ。毎日の生活を、妥協してるかそうじゃないのか、どっち側で生きてるかによって、毎日のやる気、人間の持つエネルギーってのが違ってしまうんだ。だから、妥協して生きてる人はやる気は薄いし、成功は永久に訪れないんだよ。わかるだろう」